Category: Photography

PURE TOKYO Texto

Texto para REVISTA INCENDIOS

Mientras estemos vivos no podremos experimentar el silencio perfecto, ni la oscuridad absoluta. John Cage menciona su experiencia de cuando estuvo en un cuarto preparado por la Universidad de Harvard para hacer un espacio de total silencio: “I heard two sounds, one high and one low. Engineer informed me that the high one was nervous system in operation, the low one my blood in circulation.” * Cuando fui a Tokio, que debe de ser una de las ciudades más congestionadas, rodeada del sonido humano, tomé fotos seleccionando paisajes silenciosos. Imágenes que captaban escenas previas a cruzar “el punto crítico de las energías arrogantes” de lo humano. Ahora existe un filtro sobre estos paisajes llamado radiación, una capa que no logramos ver, pero está ahí. Noté la diferencia en la percepción de imágenes, entre el antes y el después del sismo-tsunami de Tohoku y el accidente de la planta nuclear  de Fukushima, que tuvo lugar en marzo de 2011. Ahora veo a través de un filtro de muerte y quietud, una capa que cubre estas fotografías. La radiación en sí carcome la vida de todos los seres. Una ciudad puede desaparecer cuando la vida de sus habitantes está roída. Continúo creando ruidos visuales para que, ahora sí, nunca vuelva a ocurrir la misma tragedia.

*“Escuché dos sonidos, uno alto y uno bajo. El ingeniero me informó que el alto era un sistema nervioso en operación, el bajo, la circulación de mi sangre.” John Cage, Silence, Londres, Marion Boyars Publishers 1968

Pueden encontrar imágenes de PURE TOKYO en la revista REVISTA INCENDIOS.

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Pure Tokyo, 2011

Pure Tokyo, 2011

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2011年3月11日の東北地震は、過酷な自然現象の前に人間の技術はかなわないという事実を突きつけられ、ほとんどすべての日本人の様々な意識を強制的に変えてしまう結果となりました。世界の中でとても安全で裕福な国だと我々、そして各国の人々が感じていた、その神話が崩れてしまった日でもあります。多くの人々が3月11日前に戻りたいと願っています。

Pure Tokyoは2008年に東京で撮った写真作品です。私は北海道出身ですので、長期で東京に滞在したことがありませんでした。6年ぶりに日本へ行くことになった時、東京での一ヶ月の滞在の機会を与えられ、毎日自転車で街をじっくりと見て回りました。そこは自分にとって憧れの地名だけが記憶された不思議な記号の固まりでした。巨大なコンクリートで固められた街を歩いた時、自分の人間としてのスケールの小ささ、居心地の悪さは言葉での表現のしようがありません。それがSin Tituloという高層ビル群の写真作品となっています。

Pure tokyoは、その正反対、大都市の中で自分が人間らしくいられる隙間を探して撮った写真ではないかと今では思います。東京では、数えきれないほどの個人の優しさのあらわれを目にすることができました。それがいくつもこれらの写真の中に見受けられます。

手のひらに包むことのできるような風景というのでしょうか。人間の手で完全にコントロールされているのではなく、光や空気によって少しずつ形作られた小さなものたち、それは道ばたで、自然を、食べ物を無意識のうちに好んで写真に撮っていたのではないかと思えてきます。

ところがあの日の原発事故後、それらの小さなものさえもが一律に脅かされる世界へと一変してしまいました。あの人を境にそれまで隣人にさえ無関心だった人々がともに恐怖におびえながらの生活を強いられ続けています。日常に口にする食物、水、空気の汚染は刻一刻と進んでいます。これから数十年後の被害のことを考えると、途方に暮れてしまいます。

あの日から3ヶ月経ってもうメキシコではまるで過去の出来事のように感じられますが、悲劇はこれからだんだんと大きくなってゆくのです。

それはまるで日本人が人間と社会に対して無関心であったことの代償を払っているかのように感じます。無関心な社会は、真剣な問いかけを必要としていたのではないか、そのきっかけが、大震災だったように思えます。

我々に課せられたのは、ゼロ以下の状態から新しく世界を創り始めること。各々の欲望の増殖によって解体された社会を共同の営みの場としてもう一度構築すること。人間の関係をより強くするためにアートを手段として使うことです。

それを長い期間かけて行うという気の遠くなるような作業がこれから我々を待ち構えています。それは外国に住む、一日本人としての私にも背負わされた運命だと感じています。

あの街に降り立った時、確かな違和感を感じずにはいられなかった。それは自然の英知や人間の生命の重要さを軽視して経済、マテリアルへの欲望、効率によって支配された場所だったからです。それは人間の命、感情、愛情など、図ることのできないものよりも、経済、効率、数字など目に見えるものを大切にしすぎた結果だと思います。

日本はこれから数十年たとえ経済的に困難な状況に陥ったとしても、人間として世界に誇ることのできる文化を持っていると気づかなくてはいけない時にきています。日本人が本来持っているはずの人に対しての優しさ、自然に対しての寛容な心、そこから生まれる美的感覚、幸福感を世界に広げられるような共有の場、理解の場を広げてゆく必要があると感じています。現在の困難な状況から再び立ち上がることが、かつて日本が世界に夢を与えたように、この国の人々が唯一世界から信用を取り戻すことのできる理由だからです。

最後に、あの日から、現在まで世界中の人々が日本のことを思い、助けてくれています。原発事故によって世界を汚染し続けていることについて謝罪をしなくてはいけない立場の私たちに、メキシコの人々は大きな愛情を持ってこの状況を受けとめ、援助を続けてくれていることに心より感謝の意を表明します。

Color, Sound and Taste fair in Mexico city

Revolution momument, August, 9-14th, 2011

Official HP ->click here

Hagino produces 10 kind of postcard design for represent of the intercultural ambience in Mexico city to promote this event. And also Fundación Paisaje Social A.C. coordinates Mr.Yasuaki Yamashita, a serviver of the atomic bomb in Nagasaki plays  Kamishibai (Paper novel)  “二度と / Never again” created by japanese muralist, Eiko Matui.